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6年

東日本大震災から6年の今日3月11日は、私はおそろしく日常的な過ごし方をしました。

午前は家電の調達に行って、午後は昼寝からの夜勤です。

黙祷も、午前は意識していましたが、昼寝するときに忘れてしまいました。

「ダメな東北民だ」と叱っていただいてもかまいません。

 

震災が起きた当時、私は高校2年でした。

学校は高校入試の関係でお休みでした。

自宅で国会をBGMにして勉強していたら、緊急地震速報のチャイムが鳴りました。

どうすればいいか判断できず、なにをすることもなく強い揺れを迎えてしまいました。

私だけが自宅にいたので、皆の帰りを待ちました。

最初に中学校から妹が、次に公園から弟が帰ってきました。

隣の家のご夫婦に誘われて、暖房の効いた車の中にしばらく入れてもらいました。

仕事場から帰ってきた母と4人で小学校の体育館へ行き、そこで一泊しました。

最後に、父が10km強離れた仕事場から歩いて小学校まで来ました。

 

3月13〜14日にかけて、家族で気仙沼へ行きました。

連絡が取れない父方の親戚の安否確認を直接するためです。

親戚とコンタクトが取れたのは14日になってからでした。

祖母宅は中途半端に、しかし住めない程度に津波にやられていましたが、人的被害はありませんでした。

しかし、どこまでも見慣れない光景が広がっていました。

避難所の駐車場で車中泊していた仙台市民の私たちにさえ、誰かがおにぎりを持ってきてくれたことは、今でも感謝しています。

 

その後何年かして、祖母と同居しているおじ夫婦が家を再建しました。

3人は今は海から離れたところで暮らしています。

 

 

よく「震災を忘れない」というフレーズを見聞きします。

が、いわゆる「被災地」と呼ばれる地域に住む人たちにとっては、震災は忘れるとか忘れないとか、そういうレベルではないような気がします。

震災があったという事実や爪痕が、日常生活に溶け込んでいる感じがします。

震災がなければ、例えば気仙沼のエースポートはなくならなかったはずですし、祖母やおじ夫婦だって、海にほど近い祖母宅に住み続けていたはずです。

なので、「震災を忘れない」というフレーズは、震災との関わりが深くない人のための言葉だなあと思いました。

ちょうど、私がまったく関係のない阪神淡路大震災について「阪神淡路大震災を知って忘れないようにしよう」と思うのと同じな気がします。

 

 

ありきたりな表現ですが、改めて、東日本大震災で被害を受けた方にお見舞いの意を表するとともに、被害を受けた地域の早い復興を祈っています。

……ではダメなんだ。

4月から私も気仙沼市民なので、復興に参加するくらいの気持ちでいなければならないのです!

 

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