人生を変える出来事?

早くバイトから上がることができたので、寄り道をまったくせずに家に帰りました。

途中、交通機関を乗り換えるために歩いていると、若い女性が倒れていました。

急病人でしょうか。

周りにはすでに何人かの人と警察官らしき人が様子を見ています。

私は何もせずに、しかしもどかしくて悔しい気持ちになりながら、その場を通り過ぎました。

 

高校時代はクラスにまれに過呼吸を起こす子がいて、そのときも私は何もすることができませんでした。

その人との接点があまりないからという理由もあります。

が、何もできないままにクラスメートの看病や先生方の対応を見ている(あるいは耳で聞いている)というのは、当時も辛かったです。

だからといって、今、過呼吸の知識を身につけているかと言われれば、肯定はできないのですが……。

 

今思うと、医療系の進路を選ぶ人の中には、おそらく私が経験したような「何もできなくて辛いと思う」出来事がきっかけになっている人もいるかもしれません。

しかし、私は「辛い」と思っただけであって、そこから先には進みませんでした。

ある出来事が人の人生を左右するかどうかは、一律ではないんだと思いました。

 

では、私自身の人生で進路に影響を与えた出来事は……?

少し考えて、2つだけ浮かびました。

家族でアパートから引っ越すとき、土壇場で転居先が変更になりました。

その変更にともない、引越後に通う小学校と中学校が本来と違うところになったのもそうですが、高校選びにも影響を与えました。

私の母校となった某自称進学校は、変更前の家からは遠すぎて通えないのです。

もし変更がなかったら、おそらく近くの高校に通って違う人生を過ごしていたと思います。

たぶん、浪人をせずに最初から身の丈にあった大学に現役で進学したことでしょう()。

 

東日本大震災は、結果的に私の就職先を決めた出来事となりました。

震災2日後の3月13日から14日にかけて、訳あって気仙沼を訪れ、街中から階上(はしかみ:南のほうにある地域)へ続く道路の途中が被災財で途切れている光景などを目の当たりにしました。

その後、何回か気仙沼に行きましたが、ボランティアをしたわけではなく、ただスズメの涙程度の出費をしたくらいです。

それが少し心残りになっていて、就活が始まった頃に、

「いっそのこと気仙沼市民になって、住民税を払いつつ地元のスーパーで普通に買い物をして生活するのもアリ」

という考えを頭の片隅に置いていました。

そして、紆余曲折あって気仙沼の企業から内定をもらうことができました。

事業内容も納得した上で選んだので、クビにならないようにがんばります(ものすごく折れやすいフラグ)。

 

東日本大震災が、とてつもなく多くの人の人生に影響を与えたことは、自明のように思います。

命や財産や街を奪ったり、一方で人の将来の夢を決定づけたり、教訓を残したり。

では、もし震災が起きていなかったら……?

正直、失われたものの規模が多すぎて想像が付きません。

こればかりはifの話を考えていてもキリがないので、とにかく現状がよくなるように生きようと思います。