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大学卒業

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大学の卒業式に出席してきました。

多くの女の子が袴でやってくる中、私は完全に就活スーツで参戦しました(笑)

髪型だけ就活仕様ではなかったんですけどね。

留学生の子、キレイだったなあ……(*´∀`)

 

同級生を通して後輩からの色紙ももらいました。

3年次になってからは大学に行く頻度が減り、後輩との接点はほぼありませんでしたが、皆さんがんばってコメントをかいてくれていました……。

ありがとうございます。

 

卒業式のあと、祝賀会会場で卒業証書と成績表を受け取りました。

卒論は95点のS評価でした!

素直に嬉しいです。

年末年始に泣きながら打ち込んだのが報われました。

引越しが待ち構えているので、祝賀会には参加しませんでした。

 

ただ1つ大きな未練があって、指導教授に直接お礼を言えなかったのです。

「卒業式の日に一言言えればいいや」と思っていたら、今日は先生に会うことができませんでした。

卒業式には指導教授を含む先生方は出席していませんでしたし、逆に指導教授が参加した祝賀会には私は出席しなかったのです。

未練たらたらです。

2年次の前期から今までずっと面倒を見てくれて、忙しい中卒論指導も週1コマ確保してくれて、そのおかげで95点を取れたのにお礼が言えてなくて……。

春休み中でもオフィスアワーに直接研究室に行くべきでした。

引越しが落ち着きしだい、きちんとメールを送るつもりです。

現役大学生の皆さん、お世話になってお礼を言いたい先生がいる場合は、卒業式より前の日に直接会って伝えるのが無難ですよ!

 

大学を卒業して環境が変わっても、言語学、特に生成文法に対する興味を失うことなく日々を過ごしたいと思います。

だっておもしろいんですもの。

ごくごく当たり前に使っていることばは、よく見ると不思議なことばかりなのです。

その些細で深い不思議に気づけるように、常にアンテナを張っていたいものです。

 

 

そんなこんなで、明日は気仙沼への引越しです。

しばらく仙台には戻りません。

家族が手伝ってくれることになっていてなんだか申し訳ないですが、なんとか乗り越えたいと思います。

 

 

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食品工場

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昨日のことになりますが、日雇いで3年半細々とお世話になっていたバイト先で最後の日勤に入ってきました。

某コンビニのお弁当やおにぎりを作る工場です。

日によって、ベルトコンベアで流れてくるお弁当に食べ物を入れたり、完成したお弁当が流れてくるのを番重に詰めたり、お弁当を店舗ごとに仕分ける作業をしたりしていました。

 

食品工場でのバイトというと、「奴隷扱いされる」などと悪評高いですが、それは否定しません(笑)

最近もこんなまとめを見つけました。

 

単発の工場バイトしたら地獄を見た:ハムスター速報

 

「超絶わかる」というのが率直な感想です。

私も初めてお弁当の工場でバイト(しかも夜勤)をしたとき、「こんなところ二度と来るか」と思いました。

初めてなのにあまり教えてくれませんし、作業に手こずってラインで追われていると叱られました。

 

 

それでも3年半続けてこられたのは、「自分がそんな理不尽に適応したから」と言うよりは、「工場が実は比較的良い環境だったから」と言うほうが正確でしょう。

 

● 名前を覚えてもらった

最初は「派遣さん」とか「そこのお姉さん」などと呼ばれるのが普通でした。

が、「二度と来るか」と思いつつ惰性で工場に行っていると、週1〜2だったとはいえ、名前を覚えてもらいました。

いろんな部門に連れていかれましたが、工場自体がそれほど規模の大きいものではなかったのです。

一緒に作業する人が顔見知りか否かというのは居心地の点で大きな要素でした。

部門によってギスギスしやすかったりもしますが、基本どこも雰囲気は悪くありません。

ときどき雑談もできました。

 

●少し丁寧に教えてくれるようになった

ラインでの作業は、基本的に見よう見まねです。

作業の最初にパートの方が簡単な説明と共に手本を見せてくれて、それをまねるのです。

うまくいかないとやっぱり注意されたりしますが、何度も工場に通っていると、パートの方は少し優しく教えてくれるようになりました。

それに、ある作業で覚えたことが他の作業でも使えることがあります。

「両手をフル活用する」がその一例です。

経験が増えてくると、初見の作業でも追われたりミスしたりすることが少なくなります。

もはやゲーム感覚です。

音楽を脳内再生することもできるようになります。

 

●パートの残業を減らす努力をしている

ときどき、社員さんたちが躍起になってパートの方々の残業を減らそうとしています。

一昨日はとても退勤が遅くなったそうですが、私がバイトに入った昨日は30分程度の残業ですべての作業が終わり、パートの方々が帰っていきました。

私は残業の上限を心配する必要がまったくないので、そのあと社員さんに頼まれて他のラインのお手伝いに行きました。

私とは直接関係ありませんが、従業員の残業を減らそうとしている会社の姿勢は、好感を持てました。

 

●ひんぱんに工場の中の何かが変わっている

これも「この工場嫌いじゃないな」と思う要因ですが、間を空けて工場に来ると、高確率で工場内の一部が変わっているのです。

廊下がラグ(?)になってスリッパ不要になったり、衛生チェックが2階で行われるようになったかと思えばすぐに1階に戻ったり、休憩室に仕事とは関係ない掲示板ができたり、……。

昨日行ったときは、社員さんが喫煙室の改修をしていました。

働きやすい環境を作るために工場なりに努力しているのかなと思っています。

それに、「今日は何が変わっているかな」と考えながら工場に行くのはちょっと楽しかったです。

 

 

昨日は、よくお世話になったラインのパートさんと社員さんに挨拶をしてきました。

あたたかい言葉をかけてくれました(*´∀`)

最初に「二度と来るか」と思った自分からしたら、工場に「ありがとう」という日が来るなど想像できないことです。

いろんな意味でいい経験をすることができた今は、感謝の気持ちを持っています。

 

 

 

さて、この前の月曜日は、1年ほど前から行っていた某パン工場で最後の夜勤をしてきました。

あのパン工場は結局慣れることができませんでした。

まず、名前を覚えてもらえないのです。

フロアの違う9つの部門にアトランダムで連れていかれ、また1つの部門の中にも複数のラインがあるので、毎回違う人と作業することになります。

顔見知りにならないので、同じ人に「ここは初めて?」と聞かれたりします(笑)

雰囲気は、お弁当の工場よりはよくありません。

機械の音でうるさいので、社員さん同士の雑談もあまりありません。

他の人が楽しそうに作業しているか否かも、居心地を決める1つの要素だと思うんですけどね。

そして、社員さんの残業に対する配慮も少ないように感じました。

お弁当の工場でときどき耳にした「〇〇さんは今日は早く上がろうか」という話もなく、毎回3〜4時間残業している派遣の私のほうが、偉い人に言われて早く上がっている状況でした。

私が退勤するときも作業は終わっておらず、他の人が作業を続けていました。

まさに「奴隷」だと思います。

さらに言うと、パン工場での作業はごく単調でしかも長時間に及ぶのです。

お弁当の工場では、作業が単調ではなく、しかも長くても2時間ほどで他の商品に切り替わるので、あまり飽きませんでした(それでも慣れるのには時間がかかりますが……)。

一方、パン工場は、シンプルで長時間に及ぶ作業が多いです。

パンの型をベルトコンベアにのせる作業を6時間させられたときは、さすがに頭がおかしくなりそうでした。

 

 

 

ということで、「食品工場で働いてどんな感想を持つかは工場による」というのが私の感想です。

加えて、働きやすさは会社の規模とは関係ないとも思いました。

「大企業だから」とタカをくくっていると、痛い目に遭うかもしれません。

すべての人には当てはまらないかもしれませんが、私個人はそういうふうに思いました。

仮にお弁当の工場に週5で入ってもなんとかやっていけそうな気がしますが、パン工場に週5で入ったら脳死すると思います。

 

いろんな仕事を経験できる派遣は楽しいですね(棒)

 

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北枕?

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そういえば、18日に私の新しい部屋で両親と家具の配置の話をしていたときのことです。

 

私が北枕の心配をしている旨を話すと、母が

「北枕は悪くないらしいよ」と一言。

あとでググって、最初のページに挙げられたサイトをいくつか見ると、「むしろ北枕はいい」というような記述さえありました。

うーん、今までずっと北枕はタブーだと思っていました……。

 

実際、私が配置したいと思っていたベッドの向きが北枕なので、今回思い切って北枕に挑戦してみます!

 

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引越し①

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来週から住む気仙沼のアパートの契約をし、もう運んでしまっても差し支えない荷物を部屋に入れてきました。

 

この部屋は父が見つけてくれたものですが、実は今日まで中を一切見ていませんでした。

実際に部屋を確認してみると、築30年らしい古い感じがしました。

両親はドアの立て付けとかでああだこうだ言っていましたが、個人的にはまったく気にしていません。

というのは、私は古い団地だとか某企業の古い寮だとかいった、古くて冷たい感じのする部屋のほうが好きなのです。

逆に、震災を機に再建された、新しくて立派なおじ夫婦(と祖母)の家は、いるとなんだか落ち着かないのです。

(親戚との関係が悪いわけではありません)

部屋は気に入っていますが、以上のことを言うと変に思われそうなので、そっと胸にしまっておくことにします。

 

その後、家具の配置の話になりました。

両親が2人で考えだそうとしたので、控えめに止めました。

自分の好きな家具を好きな位置に配置できるのが、一人暮らしの醍醐味のひとつだと思うのです……。

 

 

来週は家族皆が手伝ってくれます。

最初はすべて1人でやろうと思っていたので、なんだか申し訳ないです。

当日のお礼は何にしようかな……。

 

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カツカツ

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いよいよ明日がアパートの入居日です。

といっても、明日は契約をして少し荷物を運ぶだけで、実際に住み始めるのは25日からです。

3月も折り返しました。

成人してから月日が経つのが本当に早く感じられるようになりましたが、最近は拍車がかかって早くなっている気がします。

 

当日手渡しで契約金を払うことになりました。

車校に次いで人生の中で大きな出費です。

一人暮らしって、初期費用はんぱないですね。

アパート、家具家電、生活雑貨……。

これでも、引越し業者に頼まなかったり、一部の家電は中古のものを調達したりして、費用を抑えてはいるのですが……。

どうしてもっと貯金できなかったのかと反省しています。

4月に入ったら、初任給が出るまでの間は数万円で過ごさなければいけなさそうです。

まあ、それはなんとかなるでしょう(・ω・)

 

自分の金銭感覚を見直すいいきっかけなのかもしれません。

ぷよクエでちびちび課金したり、カラオケに行ったり、間食を買ったり。

ADHDっぽいやらかしによる出費も多いです。

もしかしたら削られるところがたくさんあるかもしれません。

とりあえず、しばらくは積読を消費しようかなあ……。

 

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ダンボールはAmazon

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久しぶりのブログ更新です(爆)

 

引越しの時が近づいてきて、私もようやく荷物をまとめはじめました。

引越しは18日と25日に分けて行い、25日から本格的に気仙沼に住む形をとります。

部屋を整理していて初めて、自分がこの家を出るという実感がわきはじめました。

不安と楽しみが半々です。

 

6年

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東日本大震災から6年の今日3月11日は、私はおそろしく日常的な過ごし方をしました。

午前は家電の調達に行って、午後は昼寝からの夜勤です。

黙祷も、午前は意識していましたが、昼寝するときに忘れてしまいました。

「ダメな東北民だ」と叱っていただいてもかまいません。

 

震災が起きた当時、私は高校2年でした。

学校は高校入試の関係でお休みでした。

自宅で国会をBGMにして勉強していたら、緊急地震速報のチャイムが鳴りました。

どうすればいいか判断できず、なにをすることもなく強い揺れを迎えてしまいました。

私だけが自宅にいたので、皆の帰りを待ちました。

最初に中学校から妹が、次に公園から弟が帰ってきました。

隣の家のご夫婦に誘われて、暖房の効いた車の中にしばらく入れてもらいました。

仕事場から帰ってきた母と4人で小学校の体育館へ行き、そこで一泊しました。

最後に、父が10km強離れた仕事場から歩いて小学校まで来ました。

 

3月13〜14日にかけて、家族で気仙沼へ行きました。

連絡が取れない父方の親戚の安否確認を直接するためです。

親戚とコンタクトが取れたのは14日になってからでした。

祖母宅は中途半端に、しかし住めない程度に津波にやられていましたが、人的被害はありませんでした。

しかし、どこまでも見慣れない光景が広がっていました。

避難所の駐車場で車中泊していた仙台市民の私たちにさえ、誰かがおにぎりを持ってきてくれたことは、今でも感謝しています。

 

その後何年かして、祖母と同居しているおじ夫婦が家を再建しました。

3人は今は海から離れたところで暮らしています。

 

 

よく「震災を忘れない」というフレーズを見聞きします。

が、いわゆる「被災地」と呼ばれる地域に住む人たちにとっては、震災は忘れるとか忘れないとか、そういうレベルではないような気がします。

震災があったという事実や爪痕が、日常生活に溶け込んでいる感じがします。

震災がなければ、例えば気仙沼のエースポートはなくならなかったはずですし、祖母やおじ夫婦だって、海にほど近い祖母宅に住み続けていたはずです。

なので、「震災を忘れない」というフレーズは、震災との関わりが深くない人のための言葉だなあと思いました。

ちょうど、私がまったく関係のない阪神淡路大震災について「阪神淡路大震災を知って忘れないようにしよう」と思うのと同じな気がします。

 

 

ありきたりな表現ですが、改めて、東日本大震災で被害を受けた方にお見舞いの意を表するとともに、被害を受けた地域の早い復興を祈っています。

……ではダメなんだ。

4月から私も気仙沼市民なので、復興に参加するくらいの気持ちでいなければならないのです!

 

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